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『I am』を読むと安田章大が浮かぶ [好きなこと]

『I am』岡田敦写真集

2019-05-14T23:32:13.jpg

久しぶりに取り出してみた




表紙、裏表紙ともにシルバーで

手に持つと

自分がくっきりと映りこむ。

中の写真を見てから

表紙に映る自分をみると

カメラマンに

見透かされている気分になる。

その自分をどう感じるかは、

自分の心持次第だと思わされる…






一番最初のページに

裸の妊婦を横から撮ったもの。

片手で胸を押さえ、

もう片方の手で

せりだしたお腹を支えている。

幸せの詰まったお腹に

目がいく




私、

妊婦のお腹って

幸せの塊だと思ってる!

その幸せの塊が飛び出てきて

子どもになって。

その、子どもたちが

何人も写されている、

ある子は

リストカット部分とともに。。。






それを見てどうとらえるか…

難しい? 難しくない?

う~~~ん……

背景も何もなく、

真っ白な余白が多い中に

人物が写っているいるだけ、

だが心にズン!とくる




私が生きているってなんだろう






そうしてたどり着く「あとがき」

人生のふとした瞬間に

”死”の気配を感じることがある。

だがそんな時ほど

自分の”生”と

真剣に向き合うことはない。

今読むと

”死”を意識せざるを得ず

”生”を考えた

ヤスくんの状況が重なる。。。

いや、違うか。。。




自ら傷を負った者と

生きるために

傷を負わねばならなかった者は

似て非なる、か。。。






それは、傷を負うことによって

自分の存在(Identity)を

確かめようとする行為と、

どこか似ているのかもしれない

ヤスくんの両耳…

ピアスを増やし

太くしているのが

浮かんでくる…






このあとがきが書かれたのは

2007年5月8日。

ヤスくんが

この写真集に惹かれたのは

必然だったのかもしれない






写真の中の彼女たちと

目が合う度、

私はそのエネルギーに圧倒された。

私が追い続けてきたもの、

それは彼女たちの瞳の奥底に

映し出されている、

人間の”生”に対する

真摯な問いかけである

写真の中の人は

自分で自分を傷つけながら

生きることをあきらめていない。

そのエネルギーに

まさに”圧倒される”






私は生きている。

彼女たちもまた生きている。

そこに、

人間が生きているということの

根源的差異はない。

外からの見た目が

どんなであっても、

何をしていても

”生きていること”は

”生きていること”に違いない






岡田さんの写真集を

長年大事にしているヤスくんに

写真集の感想を

聞いてみたくなった

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